第27回 新保さん(新発田市)

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ニューヨークに初めて降り立ったのは、1886年11月。商社マンになって初めての出張の時でした。当時私は、日本からスイミングプールの殺菌剤を北米に輸出する担当。
取引先を訪ねニューヨーク、クリーブランド、アトランタ、ラスベガス、ロサンゼルスを回り帰国したことを鮮明に覚えています。同時に、メーカーさんのかばん持ちの予定が全く逆の立場に。以来欧州駐在までの5年間、年に数度の米国出張は多くの刺激を受ける楽しい時間でもありましたが、業務はアメリカの競合メーカーから、アンチダンピングの提訴を受け、ダンピング関税の無税を勝ち取るまでの受難な時期でもありました。

マンハッタンでアタッシュケースを持って闊歩する、そんな夢を持ちつつ出張国数約40か国、漸く2013年4月に駐在員としてニューヨークに着任、夢が叶いました。今は、時代やファッションも変わりアタッシュケースは持ちませんが、「今、俺はここに居る」と不思議な感動を覚えました。

所で出身地は新発田市になります。海や野山など自然も豊富、新発田城、清水園
等旧新発田藩の文化財にも恵まれた質実な気風で18歳まで育ちました。
新発田市には、海外からの宣教師のご一家が住まい、私が幼いころ街で時折見かけた程度、次に外国人を見たのは高校2年生の京都への修学旅行の時、全く海外とは無縁の生活を送っておりました。

大学時代に工学部で化学を専攻し、アメリカフットボール部に所属、海外交友と毎日接待、お酒が飲めるという変な憧れが今日の商社の生活につながっております。
駐在地はミラノ、パリ、ニューヨークなどの都市型生活を満喫しました。又、近年頻繁に出張したモンゴルは、人を引き付ける不思議な魅力のある国でした。今住んでいるオクラホマの平原にモンゴルを見ているような、アメリカに居ながら海外にいるような、そんな生活に満足しております。

今は資源化学系の製造業の社長として、勤務しております。相変わらず刺激を受けにニューヨークに出張しております。又、オクラホマにお立ち寄りの節は是非ともお声をかけてください。