第15回 松井貴宏さん(燕市)

燕市で生まれ大学を卒業するまで県外には全く住んだ事がなく新潟で過 ごしました。6年前に大阪の家電メーカーに就職し2年後に勤め先の転勤で渡米、ニューヨークのマンハッタンに隣接するニュージャージー州で働く事になりま した。新潟を離れるまで県外の事には興味がありませんでしたが、今では海外生活で人種、文化、環境のギャップにとまどいつつもその刺激を楽しんで生活して います。

勤めている家電メーカーでは主に商品企画と販売を担当しており低価格 を武器に低所得者層をターゲットとして販売しています。アメリカは「人種のるつぼ」と言われるように、実に多くの人種や文化が存在し、様々な個性を持った 人々が暮らしています。アメリカでは貧富の差が激しく「お金に困ったから返品する」など日本に住んでいたときは考えも及ばなかったことが起こります。

またアメリカは世界一の消費国家としても知られ、そのせいもあって か、様々な国から企業が進出し競争が激化しています。家電分野におきまして製品のデジタル化に伴い製品の部品構成が単純になる傾向にあり、量産と低価格化 を得意とする中国、台湾といったアジア企業が有利に展開しており、繊細な作業を行い高品質を得意としていた日本の製造業が劣勢に立たされています。特に低 価格化を武器とする我々には脅威になっています。今後、巨大な消費国家アメリカの中でそういった海外の家電メーカーと競争し勝ち抜いて行く術を見い出しつ つ、多岐に渡る需要を相手に、日本と異なる文化を理解しながら商品を企画し販売まで見届ける、これが私のアメリカで仕事をする醍醐味になっています。

記事: 新潟日報グローバルにいがた

第14回 青木創さん(横浜市)

私は出身は横浜ですが、勤めていた保険会社の転勤で2004年8月か ら約2年間、上越市高田で過ごしました。ちょうどその期間は、中越地震や20年ぶり大雪などがあり貴重な経験をしましたが、友人やおいしいお酒にも恵まれ て楽しく過ごすことが出来ました。ニューヨークに来たのは4年前で、アメリカで働きたいと言う夢を実現させる為に一大決心をしてニューヨークの日系保険ブ ローカーに転職しました。同じ保険業界と言う事で日本での経験が役に立ったりと馴染みやすい所もありましたが、やはり日米で大きく違う所もあり、まだまだ 戸惑うことも多いです。ただ、日本にいたら会えない人に会えたり、出来ない体験も出来きるのがニューヨークで、もっと早く決心しても良かったと思っていま す。

新潟出身ではない私ですが、県人会の活動を見た友人が連絡をくれたり、帰国の際には高田公園の花見に行ったりと今でも新潟とは繋がりもあります。また、上越にいた時と同様にニューヨーク新潟県人会にもすっかり馴染んでしまい、今ではすっかり新潟県人のつもりでいます。

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