第28回 安岡京子さん(南魚沼市)

KyokoYasuoka

八海山の麓で美味しい雪解け水とコシヒカリを食べ、18才まで過ごしました。

毎年冬になると、小中学校の時は片道1時間の通学路を吹雪の中、泣き出しそうになりながら歩いた記憶が蘇ります。 子供時代に自然の厳しさ、美しさ、豊かさの中で成長した事は、生きるベースになっています。

1991年NYに駐在員の妻として、妊娠8ヶ月の大きなお腹を抱えて来ました。米国で子供を生んで、育ててみたいと言う私の希望もありました。

 

18才から東京での生活が始まりました。 未だ小学校に上がる前、亡き父と亡き兄と3人で始めて東京旅行しました。 当時3月末だと言うのに、吹雪の中出発し、東京に着くとポカポカ陽気、こんな世界があるのかと大きな驚きでした。

横浜の短大を卒業する頃には、他の国も見てみたいと言う気持ちが大きくなり、短期留学で出掛けたロンドンで駐在員の妻となり現在に至っています。

 

2ヶ国語教育で育った娘達、平日は現地校、土曜日は日本人学校、金曜の夜と日曜日は大量の日本人学校の宿題に追われ、つまずいたり、泣いたりと日本人学校の高校を卒業するまで続きました。 今では、言葉だけでなく、夫々の国の文化、価値観、考え方まで、理解を深める事が出来る様になって来た事を嬉しく思います。

 

私も子供を通しボランティアなど、こちらの人達と多く接する機会があり多様な文化で成り立っている米国の素晴らしさ、そして日本の素晴らしさをも改めて感じて過ごしています。

 

最近は田舎で一人暮らしで頑張っている母を想い、遠いふるさとを身近に感じながら生活しています。