「県人」カテゴリーアーカイブ

第9回 計良和貴子さん(佐渡市)

生まれも育ちも日本海に浮かぶ佐渡が島、生粋の佐渡っ子です。高校卒 業まで佐渡で過ごし、憧れだったニューヨーク留学を実現させるためにまずは東京の語学学校に通いました。その矢先に、ニューヨークでは9/11のテロが起 こったため、いろんな観点からイギリスに留学先を変更することになり、結局まずはイギリスで4年間を過ごすことになりました。 イギリスではもちろん勉強漬けの毎日でしたが、サークル活動ではボランティアで趣味のダンスを友達と教えたり、大学や教会のチャリティーイベントのお手伝 いをしたり、友達とトリオを組んで音楽を演奏したりと大変充実した日々でした。

その後、就職はきっと日本だろうと漠然と思っていた矢先、知人に薦められて行った就職フォーラムでニューヨークの会計事務所に内定が決まりました。1度は ニューヨーク行きを諦めていたので、運命的でした。Visaの都合で1年は東京の事務所で働きましたが、ニューヨークで自分を磨くために渡米しました。

現在はKPMG LLPという会計事務所で、日系企業の法人税を担当しています。米国税制はイギリスの専攻に無かったものですし、学ぶことが多く、毎日が勉強の日々です。 東京の事務所にいた時とは比べ物にならない位の忙しさですが、自分が努力できる機会がある事、そして応援してくれる人が居る事に感謝しています。将来は更 に法人税制の知識を高め、答えの無いところから答えを導き出せるようなコンサルタントを目指しています。NYは様々な人が集まるコンペティティブな場所だ と思います。自分の個性を見つけて目標を見失わず、巡って来る機会を掴み取れるように広い視野を持っていたいと思います。

第8回 松浦恵子さん(柏崎市)

柏崎市で生まれ育ち、18歳の時に東京の短大に通うために上京。卒業後は、そのまま東京の外資系企業にてOLとして4年間勤務しました。

その企業では直接の上司がアメリカ人だったということもあり、語学力を磨く必要性を感じ、またその上司のやり方というのが日本人とは違うところがあって率直に興味を持ち、アメリカでビジネスを学んでみたいと留学を決意したのを覚えています。

2001年に渡米し、メリーランド州にある大学に編入。2003年に卒業後、今勤務をしているアクタス・コンサルティングという人材派遣紹介の会社に就職 が決まり、ニューヨークに引っ越してきました。仕事の都合で2007年から2年間はカリフォルニア州で生活をしていましたが、2009年夏にニューヨーク に戻ってきました。

「人は人によって磨かれるもの」だと思いますが、人種のルツボであるニューヨークで、そして人と会う仕事を通して、普通に生活をしていては会えない方々と接する機会があるのが醍醐味で、そして勉強の毎日です。

第7回 石田直美さん(新潟市、旧亀田町)

新潟市(旧中蒲原郡亀田町)出身です。高校まで地元で過ごし、大学は お隣の長野県へ。教育学部美術科の絵画研究室に所属していましたが、絵を描き続けたくて進学を希望。当時学部に大学院がなかったので美大の大学院を受験し ましたが失敗。卒業後、東京に出てフリーターを1年してから大学時代の教授に勧められた美術学校へ入学。育英財団の奨学金を受けて通っていました。2年生 の時に今度はフランスへ留学したいと思い、美術学校を中退。半年間、受験準備をしてパリへ。この受験に失敗して新潟へ帰りました。(果敢な20代でし た・・・笑)その後は新潟市周辺で絵を制作しながら色々な仕事をしていました。99年にNYへ学生として来ていた大学の後輩に誘われ観光がてらArt Stsudents League of NYへ体験入学。現在の夫と知り合い「絵の描かせてあげるよ」と言われて同年NY行きを決行。学生をするつもりがあっという間に結婚、出産、育児となり3 年前から絵画制作を再開したところです。現在、Art Students League of New Yorkで制作。

私のワークサイトです♪ http://www.naomitakahashi.com

第6回 吉垣美奈さん(糸魚川市)

糸魚川市で生まれ、高校を卒業するまで海と山に囲まれた糸魚川の実家で過ごしました。四季折々の豊かな自然の中で育ち、歳を重ねる毎に故郷のありがたさを実感しています。

教育大学を卒業し、一旦は新潟で教壇に立ったものの、自分の一生の仕 事として学校教員を続けることに疑問を抱き、上京しました。東京で広告代理店と商社勤務を経て、1998年にニューヨークに辿り着きました。最初は大学院 のプログラムを受けて帰国するつもりでしたが、ニューヨークの魅力にはまり、できるだけ長く居座るために就職活動をしたところ、幸運なことに、現在運営し ている団体を引き継ぐきっかけとなった会社に就職が決まりました。

ニューヨークから橋を渡ってすぐ、フォート・リーにあるニュージャー ジー日米協会という団体の代表を務めています。1974年に設立されたこの協会は、教育・文化的活動を通して日米の文化交流を推進し、また海外で生活する 日本人コミュニティに貢献することに力を注いでいます。年齢、国籍を問わず参加できる語学プログラムや文化クラス、教育セミナーの開催とコミュニティサー ビスが主な活動内容です。協会の運営を通して沢山の方々と出会い、その出会いの中で、日本を離れて改めて実感した故郷と母国の素晴らしさ、同郷の方達の暖 かさを時折かみしめています。自分の目で身体で体験した日米それぞれの素晴らしい文化や伝統を、できるだけたくさんの人々に伝えていくこと、それが、故郷 から遥か遠く離れたこの地に、縁あって呼び寄せられ、与えられた自分の使命だと感じています。

ニュージャージー日米協会 http://www.jasofnj.com/

第5回 遠藤信さん(巻町、現新潟市)

旧西蒲原郡巻町五ヶ浜という小さな小さな村に生まれ、小学校3年の時角田山を超えて巻町へ引っ越 し、実家から徒歩10分の巻高校を卒業するまで巻で過ごしました。その後東京のデザイン学校へ進学し、そのまま東京の某広告代理店で修行した後、1990 年にニューヨークに来ました。

2~3年アメリカで遊んだら日本へ帰るつもりが、バブル経済崩壊とともに帰る時期を逸しズルズルズルズルと、ニューヨークでアレヨアレヨと20年もの歳月が経ってしまいました。(怖っ!)

幸か不幸かニューヨークでもすぐに広告代理店でポジションが見つかり、この道一筋25年。グラ フィック・デザイナー、アート・ディレクターを経てクリエイティブ・ディレクターという肩書きになりました。TVコマーシャルや新聞雑誌の広告、ウェブか ら屋外看板までどんな広告でも創ります。興味がありましたらご覧ください。 www.makotoendo.net

もともと絵が好きでこんな業界に入ったのですが、日本にいる頃は仕事に追われ、デザイン学校を卒 業してから一枚も描きませんでした。でもアメリカの良いところは、日本の業界みたいに殺人的な忙しさがないところです。アメリカ人は過労死しません。 ちょっとづつでも絵を描く余裕が生まれました。また広い部屋に安く住めるため大きな絵が描けます。時間がある→広い部屋がある→大きな絵を描く→作品が貯 まる→どんどん貯まる→広い部屋が足の踏み場もない→ちょっと作品捨てなきゃ!となる前に、誰か買ってくれないかなぁ、、、

第4回 高橋啓さん(三条市)

高橋アキラと申します。三条市で生まれ、5歳まで見附市、三条に戻り19歳まで三条市で育ちました。

アメリカに来たそもそものきっかけは、中学生の頃にアメリカ横断ウルトラクイズで「アメリカってデカイなぁ、行ってみたいなぁ」と思ったものです。大学を 中退し1997年に渡米、2008年に転勤でNYに来るまでの11年間はカリフォルニア(ロサンゼルス、シリコンバレー)に住んでおり、大学、就職もカリ フォルニアです。現在は
HRM Partners (www.hrm-partners.com)という会社で日系企業向けに人事コンサルティングを行っています。

カリフォルニアには新潟県人会が無く、また新潟の人とお会いする機会も少なかったのですが、NY新潟県人会に入り多くの方とお会いし「新潟の人って結構アメリカに来ているのね」と驚きつつも「自分も頑張らねば」と思う次第です。

第3回 野口レイ子さん(栃尾市)

栃尾市(現、長岡市)で生まれ、小、中、高校時代をずっと栃尾で過ごしました。
地元の栃尾高校卒業後、中学の頃からなりたかった美容師を目指して上京。

夜間の美容学校に通いながら昼間はサロンで働き、美容師免許を取得して、修行していた24歳の時、
人づてにNY郊外の日系サロンで研修制度があると誘われ1991年に渡米しました。

そのまま、そのサロンのサポートで永住権を取得。
その後、何店舗かを経て、2007年2月にビジネスパートナーの鈴木八大さん夫妻と3人で、
RH plus salon(アールエイチ プラス サロン)をミッドタウンイーストサイドにオープンしました。

NYは世界中から集まった人達が目標に向かってがんばっている街です。
毎日のサロンワークを通じ、いろんな人達と出会えることで、たくさんの事を学びます。
それが、私の元気のもとであるのは、間違いないです。
これからも、たくさんの人に喜んでもらえるサロンを目指して、日々努力したいと思っております。

RH plus salon   http://www.rhplusny.com/

第2回 大坪理恵さん(長岡市)

私、長岡出身の大坪理恵と申します。2009年2月で59歳になります。小学校3年生の時に渡米を決意し、それから航空会社の客室乗務員を経て、夢のアメリカに来たのが23歳の時です。

日本から行き易いカリフォルニア、サンフランシスコを選び、会社の後輩と一緒に語学留学と称し、アメリカ入りしました。その時にたまたま知り合ったのが新潟出身の主人、大坪賢次でした。

一年間サンフランシスコの学校に通い、それから帰国し、日本ではスイスの時計会社の秘書として働きました。

その後サンフランシスコで知り合った主人と結婚をし、子供をもうけ、それからまた主人のロースクールの為家族一同でシアトルに住み、主人の卒業を待ちNYに移り、現在Fort Lee, NJに住んでおります。

今は主人の不動産会社のNJオフィスの責任者として働いております。

趣味はお料理、ゴルフです。[料理の写真はこちら]

第1回 小林中さん(上越市)

[ニューヨーク新潟県人会副会長、2004年よりQueensのForest Hillsに在住]

新潟の地酒だけを専門に扱う輸入会社を2004年にNYで立ち上げました。蔵元さん11社の約20銘柄を扱っています。2005年秋にNY・カリフォルニア・シカゴで販売を開始し、これまでに(2009年1月現在)18州まで販路を拡げました。

もともとは化学屋です。東京と大阪で計20年間、外資系の化学会社にて ファインケミカルと呼ばれる化学品の輸出入販売を担当していました。2002年に渡米、ミズーリ州セントルイスで2年間学生生活を送りました。期末試験が 終わる度に自宅でパーティーを開き同級生に実家(造り酒屋)の地酒を振舞ったところ大変喜ばれます。同時に米どころ酒どころとして国内では有名な新潟も、 一歩日本の外に出れば誰もその名前を聞いたことさえないのに気づきました。日本最高の銘醸地である新潟は、ボルドー・ブルゴーニュ・ナパなどと並ぶ世界的 な銘醸地Niigataとして広く知られて然るべき、という信念のもとに卒業直前に起業を決めました。

日本酒の醸造は知れば 知るほど奥が深く、日本人の知恵と技術の結晶であることがわかります。中でも新潟には、柔らかで味わい深く後味がきれいな、所謂「淡麗」な酒を醸すための 4条件、米・水・気候・人が備わっています。この素晴らしい郷土新潟の酒を全米に更には世界各地に広めて行くことが私の使命です。新潟の酒造りの伝統を未 来に繋げる一助になればと願っています。[http://www.niigatasake.com/]