第7回 石田直美さん(新潟市、旧亀田町)

新潟市(旧中蒲原郡亀田町)出身です。高校まで地元で過ごし、大学は お隣の長野県へ。教育学部美術科の絵画研究室に所属していましたが、絵を描き続けたくて進学を希望。当時学部に大学院がなかったので美大の大学院を受験し ましたが失敗。卒業後、東京に出てフリーターを1年してから大学時代の教授に勧められた美術学校へ入学。育英財団の奨学金を受けて通っていました。2年生 の時に今度はフランスへ留学したいと思い、美術学校を中退。半年間、受験準備をしてパリへ。この受験に失敗して新潟へ帰りました。(果敢な20代でし た・・・笑)その後は新潟市周辺で絵を制作しながら色々な仕事をしていました。99年にNYへ学生として来ていた大学の後輩に誘われ観光がてらArt Stsudents League of NYへ体験入学。現在の夫と知り合い「絵の描かせてあげるよ」と言われて同年NY行きを決行。学生をするつもりがあっという間に結婚、出産、育児となり3 年前から絵画制作を再開したところです。現在、Art Students League of New Yorkで制作。

私のワークサイトです♪ http://www.naomitakahashi.com

第6回 吉垣美奈さん(糸魚川市)

糸魚川市で生まれ、高校を卒業するまで海と山に囲まれた糸魚川の実家で過ごしました。四季折々の豊かな自然の中で育ち、歳を重ねる毎に故郷のありがたさを実感しています。

教育大学を卒業し、一旦は新潟で教壇に立ったものの、自分の一生の仕 事として学校教員を続けることに疑問を抱き、上京しました。東京で広告代理店と商社勤務を経て、1998年にニューヨークに辿り着きました。最初は大学院 のプログラムを受けて帰国するつもりでしたが、ニューヨークの魅力にはまり、できるだけ長く居座るために就職活動をしたところ、幸運なことに、現在運営し ている団体を引き継ぐきっかけとなった会社に就職が決まりました。

ニューヨークから橋を渡ってすぐ、フォート・リーにあるニュージャー ジー日米協会という団体の代表を務めています。1974年に設立されたこの協会は、教育・文化的活動を通して日米の文化交流を推進し、また海外で生活する 日本人コミュニティに貢献することに力を注いでいます。年齢、国籍を問わず参加できる語学プログラムや文化クラス、教育セミナーの開催とコミュニティサー ビスが主な活動内容です。協会の運営を通して沢山の方々と出会い、その出会いの中で、日本を離れて改めて実感した故郷と母国の素晴らしさ、同郷の方達の暖 かさを時折かみしめています。自分の目で身体で体験した日米それぞれの素晴らしい文化や伝統を、できるだけたくさんの人々に伝えていくこと、それが、故郷 から遥か遠く離れたこの地に、縁あって呼び寄せられ、与えられた自分の使命だと感じています。

ニュージャージー日米協会 http://www.jasofnj.com/

第5回 遠藤信さん(巻町、現新潟市)

旧西蒲原郡巻町五ヶ浜という小さな小さな村に生まれ、小学校3年の時角田山を超えて巻町へ引っ越 し、実家から徒歩10分の巻高校を卒業するまで巻で過ごしました。その後東京のデザイン学校へ進学し、そのまま東京の某広告代理店で修行した後、1990 年にニューヨークに来ました。

2~3年アメリカで遊んだら日本へ帰るつもりが、バブル経済崩壊とともに帰る時期を逸しズルズルズルズルと、ニューヨークでアレヨアレヨと20年もの歳月が経ってしまいました。(怖っ!)

幸か不幸かニューヨークでもすぐに広告代理店でポジションが見つかり、この道一筋25年。グラ フィック・デザイナー、アート・ディレクターを経てクリエイティブ・ディレクターという肩書きになりました。TVコマーシャルや新聞雑誌の広告、ウェブか ら屋外看板までどんな広告でも創ります。興味がありましたらご覧ください。 www.makotoendo.net

もともと絵が好きでこんな業界に入ったのですが、日本にいる頃は仕事に追われ、デザイン学校を卒 業してから一枚も描きませんでした。でもアメリカの良いところは、日本の業界みたいに殺人的な忙しさがないところです。アメリカ人は過労死しません。 ちょっとづつでも絵を描く余裕が生まれました。また広い部屋に安く住めるため大きな絵が描けます。時間がある→広い部屋がある→大きな絵を描く→作品が貯 まる→どんどん貯まる→広い部屋が足の踏み場もない→ちょっと作品捨てなきゃ!となる前に、誰か買ってくれないかなぁ、、、