2012年5月19日 展覧会のお知らせ: 小出蒐切り絵の世界~日本の風俗美

May 16 – 22, 2012 (Mon-Fri: 10:00 am – 6:00 pm, Sat: 10:00 am – 5:00 pm, Closed on Sundays)
会場: 日本クラブ
後援: 在ニューヨーク日本国総領事館

“セツ・モードセミナーを卒業後、ファッション業界で30年以上活躍してきた新潟県出身の小出蒐は、50歳を目前に、切り絵作家・宮田雅之氏の切り絵に影響を受け、切り絵作家に転身しました。

“小出蒐の切り絵の原点は、日本の原風景であり、その中に力強く生きる女性の生き様であり、姿態美です。本展の主な主題は「風俗美」、いわゆる日常の女性 像です。それは労働であったり祭りであったり、生活の極ありふれた風景であったりしますが、作品の共通点は生命力です。決して弱々しいものではなく、生き ていける生命力こそが魅力であり、小出が作品に込めた熱い想いです。

“「私は、女性を決して美人画のつもりで制作しているわけではありません。飾り物ではなく、紙の中の造形そのものであってはならないと思っています。たか が切り絵ですが、その中に生命、艶や吐息、また妖気さえ覗き見ることができればと思っています」と、小出は自己の作品について語っています。

“この機会に、小出蒐の妖艶な切り絵の世界をお楽しみ下さい。

2012年3月26日 お花見のお知らせ

毎年恒例の県人会のお花見を開催します。

日時:4月14日(土)午後1時から

場所:ルーズベルトアイランド南西岸(例年と同じ)

トラムか地下鉄Fラインの駅を降りて、西側 (マンハッタン側)の川沿いを南下して、
Queensboro Bridgeを通り越した所にある桜並木です。おおよその地図はこちらです(緑の矢印)

雨天の場合は翌日15日(日)に延期、15日も雨天の場合は中止。

参加無料。食べ物、飲み物、敷物を各自でお持ち下さい。また、ごみは必ず各自責任をもって捨てていただくようお願いします。

参加予定の方はkanji@ny-niigata.orgまでお名前をお送りください。まだ入会されてない県人、県出身でなくても新潟にゆかりにある方など、この機会にぜひご参加ください。

2012年3月14日 新潟県人会交流会のお知らせ

今年の新年会の席でもご案内致しましたが、長岡市では森民雄市長が団長となり、『長岡花火INワシントン全米桜祭り』に参加し、ポトマック川畔で長岡花火を打ち上げます。新潟からの参加者は森市長ご夫妻、小田新潟日報常務取締役初め49名です。

ご一行はワシントンからニューヨークに4月8日(日曜日)に来て、4月9日(月曜日)午後6時から、日本クラブ2階のローズ・ルームで、新潟県人会会員との交流会を開催します。当日は廣木重之ニューヨーク総領事・大使も参加されます。

長岡市では平成21年8月3日、森民夫市長が会長として、顧問に東久邇信彦、山本五十六の長男山本義正、元経団連会長今井敬・新日鉄相談役らが名を連ねる「日米友好の架け橋」が発足しました。

その関係で今回ニューヨークを訪問するご一行の中に、東久邇信彦・吉子ご夫妻も含まれています。森市長は現在全国市長会の会長で、現在東久邇信彦は皇族を離脱されていますが、昭和天皇の初孫です。

日本クラブでの交流会は、午後6時から8時迄です。午後6時からカクテル(飲み放題)、ブッフェスタイル(着席)によるディナーで、参加費用は無料です。[更新: 参加者数が定員に達したため申し込みは終了しました]

ニューヨーク新潟県人会会員の、多くの皆様の参加をお待ちしています。但し、会場の関係で参加者数に限りがありますので、申し込み先着順となりますので、ご了承下さいます様、お願い致します。

ニューヨーク新潟県人会会長
新潟日報国際交流拠点ニューヨーク代表
大坪賢次

第21回 ブランチャード彰子 さん(三条市)

1951年三条市八幡小路出身。青山学院大学卒。渡米は1976年2月にマンハッタンへ。ポートワシントン在住。一女2男の母。幼い孫娘が2人。退職後は多忙なフリーマダムです。

学校へ上がる前の幼い頃しか三条で暮らしていませんが、今でも年に1度は三条へ行くようにしています。思い出は八幡小路の朝市や三条祭り、トンビを羽織り 真夜中に初詣でに出かける父の姿や、幼くして飲んだおいしい『お屠蘇』の味。 東京の親戚の養女となったのが5歳の時でした。子供のなかった養父母にも可愛がられ、年に何度か三条の実父母へ顔を出す事が条件でしたので、姉弟達とも遊 び喧嘩も怪我もしました。年末には『お年玉集金旅行』とでも言える三条での冬休みが待っていました。小学生の時お年玉をもってぷらりと入った三条の本屋 で、少女漫画でなく英語の歌のソノシートを買いました。これが自分の英語発音の基盤となったと信じています。物まねで繰り返し歌いまくり、英語の歌にはま りました。中学から英語を訛りなしで話せたのも、10人のインディアンやビートルズのおかげだと思います!

大学卒業後チェースマンハッタン銀行に勤務し、NY本店から転勤中の今は亡きブランチャードと縁があり、日米両親(6人)が出席した結婚式の後は1975 年に香港へ転勤。翌年にはあれだけ希望していた日本ではなくNY本店へ異動命令あり、以来日本で親のそばで暮らす事が叶わなかったのはショックでした。 80年代は国際電話も航空券も高く、便利なスカイプなどもない時代ですから、孫の顔を見るのも数年おきで養父母にとても寂しい思いをさせたと悔やまれま す。

NYに来て日本外務省国連局NY国連代表部の現地採用に応募し、英語テストは当時国連公使であった緒方貞子さんが担当、結果はまあいいでしょうと言う事で 大使秘書を勤めました。途中で国連のガイド採用も応募したらすぐ来て下さいと言う事でしたのに、世間知らずでおっちょこちょいの自分は新婚だから週末は働 きたくないのを理由に取りやめ。何十年後になってはっと気が付き、なんと惜しい事をしたのだろう、あそこは国際公務員になれるゲートウェイだったのに!出 産退職前にポートワシントンに引っ越して以来この町が好きで離れ難いです。長い専業ママ時代は、種々の場所でカルチャー紹介のボランティアや通訳翻訳のバ イトもしました。子供たちにも日本語を学んでもらいました。TESOL英語教育の修士号取得は、途中で息子2人をもうけ3年近くもかかりました。長女が私 立大学に入り、久しぶりにフルタイム勤務をするうち2004年秋に主人が脳腫瘍であっという間に他界、2008年には日本へいつでも行けるように退職しま したがその後が結構忙しいのです。子供達が皆ばらばらにアリゾナ、テキサス、カリフォルニアに引っ越したので、長距離の旅が多くなります。趣味はいろいろ ある中で今でも憧れるのは社交ダンスや歌う事。アイエンガー式ヨガに通い体をまっすぐ柔軟に保つ努力を課題としています。これからの余生は今まで手つかず だった事をしたいです。独学のスイスヨーデルは、出来れば一緒にハモれる方がいればどんな展開になるか想像すると楽しいです。今の使命は施設に入居した養 母と諸々の管理、成人した3人の子供を見守り、遠くの幼い孫娘たちに仲良くしてもらうこと、自分の気持ちに忠実に前進する事です。

ここ数年は日本行きに加えて、同居人の輸入紳士靴等の卸業の関連でアメリカ国内の展示会の手伝いやイタリアについて行ったりなどで、リタイア生活とは言え ども旅行が多く忙しいものです。世界旅行が出来ますようにと若い頃に願ったのが叶いすぎてやや疲れる感じがいたします。だから願い事はよく考えてからしな いと、、、叶った時がこわいかも。

記事: 新潟日報グローバルにいがた

第20回 吉田理子さん(見附市)

見附市出身の吉田(旧姓: 横山)理子です。高校を卒業するまで地元で過ごしていました。長岡高校を卒業後に大学進学の為上京、大学卒業後は、カンザス州内のGraduate Schoolで2年間学んだ後に、仕事の為ニューヨークへやってきました。

子供の頃は、一歳年上の兄と一緒に年中外で遊んでいました。夏は、缶蹴りや虫取り、冬には、除雪車が集めた雪山で遊んだり、雪おろしの後に庭に溜まった雪でかまくらを作ったり、と毎日遊ぶ事に事欠かず忙しくしていました。

カンザス州には約2年間住んでいましたが、ホストファミリー、大学の寮、友達とアパートのシェア、一人暮らしと色々な生活や、全てが必要以上に大きい アメリカの“田舎”を経験できました。

ニューヨークへ引っ越してからは、IT関係の企業に勤務しネットワー クエンジニアとして働いています。主に企業ネットワークの設計・構築・保守を業務としていますが、最近では、サーバ・PC環境の設計・構築なども行ってい ます。北中南米への出張も多く、大変そうと思われがちですが、出張好きな自分としては出張の機会が来るのが楽しみで仕方ありません。

ずっと仕事に没頭する日々を過ごしていましたが、知人のニューヨークシティマラソンの応援がきっかけで6年程前から始めたマラソンを機に、仕事中心の不規則な生活から脱する事に成功。以降は、年に3-4回のフルマラソンを走っています。

記事: 新潟日報グローバルにいがた

ニューヨークで活躍する新潟県人会です