第14回 青木創さん(横浜市)

私は出身は横浜ですが、勤めていた保険会社の転勤で2004年8月か ら約2年間、上越市高田で過ごしました。ちょうどその期間は、中越地震や20年ぶり大雪などがあり貴重な経験をしましたが、友人やおいしいお酒にも恵まれ て楽しく過ごすことが出来ました。ニューヨークに来たのは4年前で、アメリカで働きたいと言う夢を実現させる為に一大決心をしてニューヨークの日系保険ブ ローカーに転職しました。同じ保険業界と言う事で日本での経験が役に立ったりと馴染みやすい所もありましたが、やはり日米で大きく違う所もあり、まだまだ 戸惑うことも多いです。ただ、日本にいたら会えない人に会えたり、出来ない体験も出来きるのがニューヨークで、もっと早く決心しても良かったと思っていま す。

新潟出身ではない私ですが、県人会の活動を見た友人が連絡をくれたり、帰国の際には高田公園の花見に行ったりと今でも新潟とは繋がりもあります。また、上越にいた時と同様にニューヨーク新潟県人会にもすっかり馴染んでしまい、今ではすっかり新潟県人のつもりでいます。

記事: 新潟日報グローバルにいがた

第13回 田中遊子さん(新潟市、旧新津市)

高校卒業後、留学のために渡米して以来、ずっとアメリカで暮らしてい ます。カンザス州に2年弱、サンフランシスコに9年、ニューヨークに移って丸8年になります。ニューヨークは何でも出来る街、まさに「意志あるところに道 あり」。でも、あまり欲張って視界が曇ってしまわないよう、「神は細部に宿る」を肝に銘じています。

通算約10年、フリーランスのライターとして、取材執筆、翻訳、通訳 をしてきました。数年前、「文章書けるのなら、うちの広報手伝ってくれない?」と持ちかけられたことがきっかけとなり、現在は、コピーライティングや、メ ルマガ、ブログ、パンフレットなどの、「言葉ツール」のコンサルティングも手がけています。

3月の震災直後、言葉に携わる者として何か出来ないかと考え、すぐに思いついたのが、地元の人らから励ましや祈りのメッセージを集めることでした。まずは 実験的にと、募金活動の傍ら、道行く人に手書きのメッセージをお願いしたところ、多くの人が快く応じてくれました。「早く事態がおさまるように」と、びっ しり書き込む人、「スペイン語でもいい?」と祈りの言葉を綴る人。「必ずしも皆が気前良くお金を出せるとは限らない。でも、気に留めているニューヨーカー がいることを伝えられれば」と思い立ち、4月のはじめに、「日本の被災者に手書きのメッセージを」と、ファックスやメールで市内の学校約500校に呼びか けました。我が子2人が通う小学校では、すでにプロジェクトとして採用され、他からは、「姉がフクシマに住んでいるので、人ごとではない。校長にかけあっ てみる」という返信もありました。いくつメッセージが集まるか、どういう形でより多くの被災者に届けるか、現在思案中です。今後も、言葉をライフワークに していくつもりです。いつか、鉛筆を握って肉筆で綴ることを軸にした、教育プロジェクトなんか企画出来たら嬉しいですね。

http://yukotanaka.weebly.com/

記事: 新潟日報グローバルにいがた

2011年4月17日 ニューヨーク新潟県人会 お花見

毎年恒例のお花見がルーズベルトアイランドで開かれました。今年は日にちを少し早くして、いつもの八重桜ではなく初めて染井吉野の下でのお花見になりました。県人会員専用の写真アルバムからはこちらからパスワードを使って御覧ください。パスワードは県人会関係者の方々にお送りしています。リクエストは contact@ny-niigata.org まで。新潟日報に掲載された記事はこちら

第12回 大見美砂子さん(新潟市)

新潟市関屋本村町出身です。幼いころから、夏は関屋浜で泳ぎ、冬は新潟や長野のスキ― 場で毎週のようにスキ―をしていたおかげで、年中真っ黒に日焼けをしていました。新潟の人は色白美人なんて言われますが、私には今も当てはまらないようで す。(泣)そんな新潟の風土をこよなく愛していた私でしたが、26歳の時に脱OL宣言。ワシントンDCのジョージタウン大学に語学留学。それまで、親元で ぬくぬくと生活していた私にとっては、初めての1人暮らし、しかも海外。学ぶべき事も多く新鮮で楽しい毎日でした。当初、1年だけの予定での渡米でしたの で、親からは「早く帰ってきて結婚してちょうだい。」と予定を過ぎた頃には、仕送りも止められてしまいました。(笑)こんな無謀で無計画な海外留学でした が、その後、縁あって現在の主人(アメリカ人)と知り合い結婚。今は主人と2人の娘達と幸せに、NYCのバッテリーパークシティにて生活しております。

私自身は、今現在、産前産後でお料理するにお困りの方を対象に食育インストラクターの資格、またOL時代に新潟で料理学校にて学んだ知識を活かした料理の サービスを仕事としております。日本も最近は高齢出産化(35歳以上)しており、本来頼れる両親も高齢であるため、言葉も文化も違うアメリカまできての手 伝いは難しい状況です。そこで、そのような日本人の方々が少しでも安心して出産、子育てをするのをお手伝いできたらとこのサービスを始めました。和食中心 とした栄養バランスのあるメニューと子育ての経験を活かしたアドバイスに好評を得ております。

渡米してからは、「勇気あるところに希望あり」と向う見ずに進んでこれたのも「新潟」という故郷が、いつも心の支えになってきたから。日本人であるという 誇りがあったからこそ。最近は、東日本大震災の復興を願い、微力ながら私にもできることをとチャリティーイベントに精を出しております。「ガンバレ日 本!」

記事: 新潟日報グローバルにいがた

2011年4月1日 東京新潟県人会会長からのお便り

海外の県人会の皆様へ

東京新潟県人会
会長 平 辰

東日本大震災の被災者救援の対応について

  3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という世
界最大級の大地震、これまでに経験したことのない巨大津波、更には原子力発
電所における深刻な事故を惹き起こしました。その被害は、現在、死者・行方
不明が2万8千人、避難生活者が18万人を超え、1923年の関東大震災以来の大規
模な震災が生じたことから「東日本大震災」と呼称されております。
東京も震度4強の地震に襲われましたが、当会の会館ビルはおかげさまで格別
の被害はありませんでした。
海外の皆様には大変ご心配をおかけしておりますが、私どもに関してはご心
配はありませんので、よろしくお願いいたします。
地震発生以降の新潟県及び当会の対応について、要点のみご報告申しあげま
す。

1 新潟県の対応
(1) 避難生活者の受け入れ
津波等のため住宅を失った被害者が多数に及び、現地だけで対応困難な
ため、新潟県では早期に福島県等からの被災者を受け入れ、現在2万人近い
被災者が新潟県内の避難施設に収容され、地元住民の温かい支援を受けて
おります。
(2) 県民募金の勧奨
地震発生から3日後の3月14日、新潟県知事から県民に対し添付趣意書
のとおり義援金の募集を開始しました。期間は5月13日までです。

2 東京新潟県人会の対応
(1) 会館施設の開放
地震当日、上越新幹線の運休により新潟に帰ることができなくなった方々
はホテルがすべて満室で宿泊できず、依頼により14名を会館施設で一泊し
てもらいました。
(2) 役員・会員有志により、3月24日から28日までの5日間、毎日午後1時
から4時まで上野駅周辺で街頭募金活動を行いました。参加者は延べ
234人、募金額は5日間合計で約350万円。新潟県を通じ被災地に提供され
ます。また、首都圏における地区会・郷人会に対し、本年7月31日まで全力
を尽くして募金活動を行うよう依頼しました。募金は直接新潟県の指定口座
に振り込むか、当会を通じて新潟県から被災地に提供していただくか、いず
れかを選択してもらいます。

ニューヨークで活躍する新潟県人会です